とうふ街の歴史と変遷

東海フロートシティ(現在のとうふ街中央区)は2016年1月、こた鯖南西スポーンすぐそばから始まりました。
現在は東海フロートシティに立っている東海フロート30の南西での建設の土台は、現在Yamazonの自由出店スペースになっています。

2016年8月、景観上の問題を理由に場所を南西から東側の洋上に変更。おもな変更理由は周辺に建物が無いこと、整地が必要ないことがありました。現在の東海フロートシティの位置は、当時のワールドボーダーぎりぎりに位置しており、ボーダーは現在の蒼田野海洋公園付近にありました。

2016~2017年にかけて、東海フロートシティの開発は主に東海フロート30及び現在の蒼田野にあたる、牧場前地区を中心に行われました。蒼田野駅には、初期の牧場前駅がひっそりと保管されています。

この頃の牧場前駅は、yuu2132が所有する畑や倉庫への個人的な往来を行うための駅でした。倉庫は現在も残っています。

 

2018年4月、東海フロートシティに環状線が開通。当時の東海フロートシティ ー 牧場前貨物連絡線はそのまま、環状線の線路として流用されています。同時に牧場前駅は蒼田野駅に名称を変更。現在の環状線駅舎は当時の姿を残したままです。

 

2018年6月に、総資産が1000万mpを突破。

 

2018年10月13日に鉄道局に就任。鉄道スタッフとして本格的に鉄道建設を開始しました

2018年8月~2019年1月にかけて、東海フロートシティに高層ビルを建築、また、三ツ山地区、落ち穂拾い地区などが完成し、崎峠駅に空港が完成しました。

この頃から東海フロートシティの略称は、ビル(とうふ)建築の町であることにかけて、

とうふ(東フ)(豆腐)街と呼ぶようになりました。

東海フロートシティ駅は環状線、翡翠電鉄とうふ街線、翡翠電鉄東西線が乗り入れ、当時最大の駅となりました。

2019年2月に蒼田野と崎峠駅をむずぶ貨物連絡線が開通、その後、高萩原駅まで延伸されました。また、蒼田野国際空港建設及び蒼田野団地建設を中心とした蒼田野駅周辺開発計画が開始されました

 

2019年3月に蒼田野駅とたぬき村までを繋ぐ新幹線が完成。また同時に、緑都モノレールの開通により、蒼田野駅が8番線まで完成し、同時に東海フロートシティ駅を抜いて最も大きな駅となっていたlimit central駅と同じ大きさの駅となりました。

た、蒼田野駅は改名1周年を迎え、牧場前駅最後の名残であった牧場前第一隧道が撤去されるのに合わせ、蒼田野駅構内に石碑が建てられました。

 

2019年4月、『東海フロートシティおよびその周辺地域計画的開発に関する提案書』により、とうふ(十府)街に読み方を変更。それぞれを10の区分けとする案が生まれました。

この頃、尤財団が設立。近代都市建設を加速させるべく資金運用を行なったり、イベントを行ったりしています。

 

2019年5月より、蒼田野国際空港の建設が本格化し、2019年10月には誘導路及び滑走路はほぼ完成しました。また蒼田野駅と二又川駅とをつなぐ蒼田野スカイアクセス線の開通により、蒼田野駅は0番線から10番線まである、こた鯖史上最大駅になりました。

 

2019年8月より南北線北側が着工、9月に完成。

 

2019年10月に南北線南側が着工、2019年11月に完成しました。

 

2019年12月より中浜駅周辺の開発を開始。

これにより、とうふ街を構成する10の府が全て確定しました。

 

2019年末から2020年1月前半にかけて中浜周辺の開発を行い、ある程度完成の後、拡張。東海フロートシティ沿岸部の港を開発。

 

2020年1月半ばにとうふ街高度自動管理システム(T.A.A.C.S)-テイシスの実験運用を開始。及びとうふ街第10府の着工をしています。

 

2020年2月、第10府中浜バックアップセンターの着工。
      よりリアルシステム化するため、T.A.A.C.Sの名称をとうふ街地域統合管理システム(T-R.I.C.S) T-ライシスに名称変更。同時に運用計画の策定を開始。

 

2020年2月下旬 第10府中浜バックアップセンター完成。 

 

2020年4月中旬 中浜区の観光地ワープの追加、とうふ街観光啓発ポスター完成。

 

2020年4月下旬 とうふ街メダル及び市長用メダル完成

 

【現在に至る】